太宰治「トカトンカン」で考える主役しか出てこない作品

太宰治「トカトントン」は青空文庫で読めます。

通常、物語には「主役」「準主役」「3番手」まで出てきます。
特に「主役」と「準主役」の関係性で物語が展開する事が基本です。
ところが、まれに「主役」しか出てこない作品があります。
その一例として、太宰治の短編「トカトントン」をご紹介します。

短編「トカトントン」は、主人公の「私」が、ある日、金槌の音が「トカトントン」と響き渡るの聞いた時に、急に心が冷めていく体験をします。その後も、「私」は様々な場面で、「トカトントン」という音を聞く度に心が冷めてしまう経験を繰り返し、それが酷くなっていく虚無の感覚をユーモラスに描いている物語です。

この作品は、終始、「私」の視点で話が進み、様々な人物が入れ替わり立ち替わりで、主人公の目の前に登場しますが、主人公に最初から最後まで関係する準主役は出てきません。これは、短編小説だからこそ成り立つ構成でしょう。長編小説で主人公一人だけで物語を書くのは、話を展開させにくいと思います。物語は、基本的に、人と人の関係性の変化で見せるものだからです。

また、映画の場合は、主人公だけでは、話が展開しにくいです。主人公しか出てこない映画は滅多に無いかもしれません。短編映画なら、成立しうるかもしれませんが、かなり難しいかと思います。映画は、人間同士のやり取りで物語が展開する事が基本だからだと思います。

ちなみに「トカトントン」以外にも、主役しか出てこない小説はあります。そういう作品を研究するのも、物語における「主役」「準主役」「3番手」の役割を考えるうえで良い勉強になるかと思います。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)