良く映画や漫画・小説の宣伝文句で”感動の物語!”という言い方をしますが、
そもそも、物語における「感動」とは何でしょうか?
先に答えを言うと、物語のおける感動とは「主人公が正しい道を歩む瞬間」になります。
感動作と言われる作品を分析すると、概ねクライマックス部分で、主人公が「正しい道」を歩んでいるからです。
例えば、悪人だった主人公が、様々な経験を経て、最終的に正しい生き方を始める……という構成は、感動作に良くあるパターンではないでしょうか。
もしくは、悲しい出来事に直面して主人公が、クライマックスで悲しみを乗り越え、より精神が強い人間に成長すると言うパターンも良くあります。この場合は悲しみを乗り越える時が正しい道を歩む瞬間になります。
また、スポーツ物などで、弱かった主人公が、努力の末に強くなる……この場合は、ただ強くなるだけでなく、精神的にも強くなる事もセットでついてくる事が望まれます。いくら強くなったとしても、精神が未熟なままでは、別の面白みは発生しますが、感動はしにくいでしょう。
色々な感動作パターンがありますが、言い換えると「感動=主人公の心の研鑽」とも言えます。
以下、その例を挙げてみました。
①「改心」最初、悪い心を持っていた主人公が、最後、良い心になる。
②「意識改革」普通の心を持っていて平凡な生き方をしていた主人公が、最後、それまでとは違う、より意識の高い生き方を選択する。
③「聖人化」そもそも良い心を持っている主人公が、最後、伝説級に崇高な精神を獲得する。
大体、①、もしくは②が感動作に多いパターンでは無いでしょうか?また、③も稀にありますが、これを描くとなると作り手にも相応の精神が求められます。
また、あまりに主人公が崇高すぎると、観客や読者がついていけなくなる場合があります。
主人公は、一般人に近い精神レベルの人物が望ましいでしょう。(誰もが持つ悩みがあるとか)
そういう人物の心が磨かれ、意識の高い生き方へと発展する様子に観客や読者は感情移入し、クライマックスで主人公と同じく心が磨かれた様な気分になって感動します。
また、見方を変えると、主人公が最初と最後でポジティブな変化をしているとも言えるでしょう。
皆さんも、「感動作」と言われる作品を分析されてみて下さい。
分析は、様々な気づきを与えてくれます。
(花野組福岡「作家塾」運営事務局)