映画のファーストカットとラストカットの決め方。

Cinematographer Arthur Edeson, Humphrey Bogart and Ingrid Bergman, “Casablanca” 1942 Warner

今回は、映画の話をさせて頂きます。

それも、ファーストカットとラストカットに特化した、ややマニアックは話題です。

映画の始まりの一番最初の映像が「ファーストカット」
映画の終わりの一番最後の映像が「ラストカット」

この両者をどんな映像にするのか、実は、かなり難しいです。

ファーストカットは、その映画の世界にお客さんを誘う(いざなう)ものです。
それ故、ファーストカットの画がどうでも良い筈がなく、誠実な映画の作り手なら、どんな画にするべきか、あれこれ検討します。

派手なら良いとか言う単純な問題ではなく、その映画を象徴する物でなければ、お客さんの心に深く届きません。

それは、映画監督の作家性とも関係します。

映画の巨匠たちが作る映画のファーストカットは、作家毎に千差万別で独自性があります。
ベルイマンの「叫びとささやき」、キューブリックの「2001年宇宙の旅」、黒澤明の「影武者」….例を挙げたらキリがありませんが、どれも素晴らしいファーストカットです。

また、逆にラストカットですが、これは、新体操の着地に相当する物で、綺麗な着地が求められます。
映画を観ていただいたお客様に素晴らしい余韻を持って映画館を後にして頂く為にも重要です。
ラストカットは「終わり良ければ全て良し」であると同時に、「終わり駄目なら全てが無駄」に成りかねないのです。

映画の巨匠による映画のラストカットも、千差万別であり、素晴らしい物ばかりです。
ミロス・フォアマンの「アマデウス」、キャロル・リードの「第三の男」、変わり種では、ジョン・カーペンターの「ゼイリブ」のラストカットも皮肉っぽくて良いですね。

映画のファーストカットとラストカットが重要で深刻な物である事を少しでもお分かり頂けたでしょうか。

そして、この映画のファーストカットとラストカットは、大抵の場合、制作工程の、最後の最後に同時に決まります。

映画のファーストカットとラストカットが決まった瞬間は、映画が作り手の手を離れる瞬間でもあります。

その瞬間は、達成感・安心感と共に、長い旅の終わりの寂しさも伴う物です。

これは、映画の作り手のみが味わう感覚と言えるでしょう。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)



AIには「テーマ」が持てない。生きてないから。

最近、小説・脚本界隈でもAIの登場は大きなインパクトがあって、悲喜交々、様々な意見が飛び交っています。

ところが、それら意見の中で、あまり言われていない事として「テーマ」の問題があります。

小説・映画などの物語には、必ず「テーマ」があります。

ここで言う「テーマ」とは「お題」の事で無く、「作家が作品で述べたい事=テーマ」と言う意味です。

その上で、はっきり言える事は、AIには「テーマ」がありません。
何故なら、AIは、生きた存在では無いからです。

「テーマ」は、作家の人生と共にあります。

その作家が、どの様な生き方をしてきたか?と、言う事が「作家が作品で述べたい事=テーマ」に強い影響を与えます。

作家の人生ごとに、その作家のテーマがあり、それが作家の個性に繋がるのです。

それ故、人生を歩んでいないAIには「テーマ」が無いと断言できます。

また、AIには「作家としての拘り」も無いでしょう。

今後、科学が発達し、鉄腕アトムの様に人間同様に長い時間をかけて育てられて「心」が芽生えたら話が別ですが、現在の人類の科学力では、遠い未来の話になりそうです。

尚、いずれ「物語の書く道具としてのAI」の正しい使い道が分かってきて、小説や脚本の世界でも、AIは重要な存在になるかと思います。

ただ、その道具を巧みに使う為にも、AIに頼らず物語を書き、自分のテーマを理解しておく事が大切では無いでしょうか。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)

読者・観客を夢中にさせる物語を作るコツ

小説・映画などの物語の始まりからクライマックス、オチまで読者・観客を夢中にさせるにもコツがあります。

そのコツは、以下の通りになります。

<全ての登場人物にオチをつける>

主役、準主役はもちろん、脇役に至るまで、それぞれの登場人物には、その人物の登場シーンから、その人物の物語内におけるオチまで描きましょう。

そうする事で、人物描写のリアリティーが増し、物語としてボリュームが出てきます。
つまり、お客さんが物語を楽しめるポイントが増えるという事です。

その分、やたらと登場人物を出し過ぎると、書くのが大変になるので、物語に出てくる登場人物は、必要最低限にしましょう。

<物語とは、小さな起承転結の連続体であり、物語内には階段がある>

物語内には、細分化された起承転結が存在します。

オープニングの起承転結、物語前半の起承転結、物語中盤の起承転結、物語終盤の起承転結、クライマックスの起承転結、オチの起承転結と……言う感じで、連載の物語が繋がっていく様に、一つの物語は、小さな起承転結の物語の連続体なのです。

この構造は、長編小説や2時間の映画のみならず、短編の物語も、小さな起承転結の連続体で成り立っています。

この小さな起承転結の連続が、読者・観客を夢中にさせます。

ここで、重要なのが、物語中の短い起承転結が一つ完了する度に、主役と準主役の心が、近づいていくと言う点です。

物語とは、主役と準主役の心の距離の変化を楽しむ物です。

小さな起承転結の一つ一つが、主役と準主役の心が近付いていく階段の一段一段と言えます。
(一段上がる度に、心の距離がより近づく)

その階段の最高到達点がクライマックスであり、主役と準主役の心が最も接近する箇所です。

クライマックスに向け、階段を一段づつ上がる様に、小さな起承転結を一つづつ、完成させていきましょう。

以上が、読者・観客を夢中にさせる物語を作るコツでした。

優れたハリウッド映画や、日本の人気漫画などは、上記の技術が存分に活用されています。

とは言え、理論が分かっても、実現するのは難しいです。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)

某高校での小説指導の近況

花野組福岡作家塾は、昨年から、某高校で小説の書き方指導を担当させて頂いています。

一応、高校生向けと言う事で、ライトノベル講座と銘打って、授業をしてきましたが、最近は、純文学系の小説を書く生徒さんの方が増えてきました。

ライトノベルの若年層離れが進んでいると記事を読んだ事が有りますが、それを地方の高校の現場でも感じられる様になっています。

最初から文章力が豊かな学生さんも増えてきました。
様々な年代の方々の文章を読む機会があるのですが、若い人の方が上手い人は多いかもしれません。
プロットの書き方を学べば、もっと着実にしっかりした物語が書けるようになるだろうなと言う印象を受けます。

今、高校の現場で起きている現象は、数年の内に、もっと、はっきりした形で小説の世界に変化をもたらすでしょう。

また、高校などの教育現場で、小説を指導する機会やニーズも、今後、拡大する可能性もあるかもしれません。

(花野組福岡「作家塾」事務局)

ホラー映画表現のコツ「何かが起こる事を悟らせない」

本日は、ハロウィンという事で、ホラー系の映画表現のコツについて説明します。

ホラー映画の場合、お客さんを怖がらせたり、驚かせたりする事が第一の目的となります。

怖がらせるには、そもそもの設定が重要なのですが、下手なホラー映画に有りがちなのが、「これから怖い事が起こる事を悟らせてしまう」と言うミスです。

例えば、異変を知らせる表現を小出しにするとか、異変を知らせる音楽を早く出しすぎる等です。

お客さんに、これから何か起きるのねと少しでも悟らせてしまうと、どんなに映像表現を工夫しても、殆ど怖くない表現になります。

ビックリ箱と同じく、突然、何かが起きるから怖いし、驚くのです。

ですので、驚かせる映像が出る瞬間のギリギリ寸前まで、お客さんに何かが起きると如何に悟らせないかが勝負の一つになります。

しかし、お客さんもホラー映画をいくつか観る内に、ああ、そろそろ何かが起こるのだろうと鋭く予測するようになります。

そうなると、作り手は更なる工夫が必要になります。

この様にして、ホラー映画は、賢くなっていくお客さんと作り手との終わりなき心理戦の如き、表現の工夫の積み重ねで進化して行きました。

この心理戦に疲れた作り手の中には、お客さんの裏をかくのを諦めて、あえてベタなホラー表現をして、お客さんに分かっているだろうけど「お約束」を楽しんでねてと言うスタンスに立つ者も少なからず居ます。

時代ごとのホラー映画を見比べると、作り手の涙ぐましい努力の歴史を知る事が出来るでしょう。

少々、話が脱線しましたが、ホラーに限らず、通常のドラマの場合でも、「これから何かが起きる事を悟らせない」という事は、お客さんに楽しんで頂く基本的なコツの一つですので、ご活用ください。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)



基本的な物語は、主役と準主役・二人の接近を描いている。

多くの物語で「主役と準主役が近づいていく様子」を描いています。

物語は、主役の視点で動きますが、主役が何を目的に動いているかと言うと、殆どの場合、「準主役」に近づく事を目的としています。

例えば、恋愛ドラマなら、主人公が恋する相手(準主役)と結ばれたくて近づくでしょう。
刑事ドラマなら、主人公が刑事で、犯人(準主役)を逮捕しようと追いかけるでしょう。
スポーツ漫画なら、主人公が強いライバル(準主役)の強さに追いつこうとするでしょう。

と、いう感じで、世の中の様々なドラマが主人公と準主役の接近を描いています。
例外もあるので、絶対とは言えませんが、多くの場合そうなっています。

特にメジャー作は、その傾向が強いです。
主人公と準主役の接近は、多くの人が理解しやすい題材だからでしょう。

重要なのは、主人公と準主役の接近とは、「心の接近」と言う事です。

心の接近は、緊張感を生みます。
恋愛ドラマに例えるなら、ドキドキする気持ちと言う事です。
(恋愛ドラマが分かりやすい事例なので引用してます)

そして、二人の心の距離が最も近づく瞬間がクライマックスです。
恋愛ドラマに例えるなら、告白する瞬間などでしょうか。

更に、二人の関係の結末(二人の関係の結論)がオチになります。
恋愛ドラマに例えるなら、主人公が準主役と結ばれたり、振られたりという事になります。

以上の事を踏まえると、物語には最低でも、主役と準主役が必要であり、その二人が居ればドラマは成立すると言えるでしょう。

また、主人公と準主役の関係が、その物語のテーマにも関わってきます。
二人の関係のオチ(結論)が、テーマに繋がるからです。

この話まですると長くなるので、いつかまた書きます。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)

10/28(土)「作家塾・無料レッスン」を開催

<お申し込みが満員になりました!>

作家塾では、不定期で「無料お試し授業」を福岡市内で開講します。

お試し授業では、小説や脚本の書き方の基礎や、プロットの書き方についての授業を1時間ほど行います。

小説や脚本を書きたいけれど書き方が分からないと言う方や、作家塾や、プロットの書き方にご興味がある方など、どうぞお気軽にご参加ください。

尚、ご参加にあたって、下記の点にご注意をお願いいたします。

ご参加には、事前のご予約が必要です。

・小説や脚本の添削は行いません

・1回までのご利用となります。

・定員5名です。

尚、10/28(土)の無料お試し授業の参加者は満員になりました。(有難うございました!)

次回の「無料お試しレッスン」は、来年以降の開催を予定しています。

次回も、皆様のお申し込みをお待ちしています!

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)

主人公が動かなくとも心の動きで物語は描ける <ジョニーは戦場に行った>

物語とは、主人公の心の動きを、物語の始まりから終わりまで描いたもの

物語とは、主人公の心の変化を描いたものです。

物語中で主人公が大きな行動に出たとしても、主人公の心に何の変化もなければ、ドラマチックではなく、逆に主人公が全く動かずとも、その心が大きく動くならば、ドラマチックになり得ます。

その一例として(かなり特殊な事例なのですが)、映画「ジョニーは戦場に行った」と言う作品があります。

この映画は、設定が衝撃的で、何しろ主人公である兵士ジョニーは、戦場で目も口も鼻も顎も失い、意識はあるものの、身動き一つ、言葉も発せられない状態の悲惨な青年なのです。

そんな状態で何年も病院に横たわり続け、周りから意識のない植物状態と思われています。
主人公は、行動できないので、映画の中では、主人公の思いを中心に描かれる事になります。これこそ、物語とは主人公の心の動きであると言うことを示す一例ではないでしょうか。

ちなみに、映画「ジョニーは戦場に行った」は、伝説的な不屈の脚本家ダルトン・トランボが自身の小説「ジョニーは銃を取った」を、自ら脚本にし、監督までして完成させた反戦映画ですが、今の時代にこそ、一見の価値がある作品かと思います。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)

9月の「作家塾」無料お試しレッスンを開催しました。

先日の土曜日、福岡市内にて「作家塾」の無料お試しレッスンを開催しました。
ご参加頂いた皆様、有難うございました。

今後も、無料レッスンの開催は、なるべく定期的に続けていきたいです。

次回の開催日が決定次第、このブログでも、ご案内させて頂きます。

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)

第38回 古湯映画祭に行ってきました。

写真中央の右側に、チェックのシャツを着た若き日の映画監督・石井聰亙氏が写っています。
第1回目の上映プログラム。商業映画だけでなく、地元の人が製作した8ミリ映像作品も上映されてます。
佐賀市になる前の富士町だった頃から映画祭は始まってます。町全体が一丸となって本格的な映画祭に挑戦したのですね。

佐賀県立美術館で映画を作った際のご縁から色々と繋がって、9/16(土)、佐賀県の古湯温泉での「第38回・古湯映画祭」に行きました。

会場には、思いのほか沢山のお客さんが居られて盛り上がっていました。

そんな会場の一角に、これまでの同映画祭の様々な資料が展示されてました。

興味深かったのは、1984年の第1回目の映画祭の写真やプログラムです。

ゲストとして招かれていた、若き日の映画監督・石井聰亙氏と、映画プロデューサー・小林紘氏が写っている写真もありました。

当時の上映作品のラインナップを見ると、最先端の映画が充実した本格的な映画祭で、小さな山間の温泉町で良く実現したものだなと感心しました。

ちなみに帰り際、映画祭に来たお客さん全員へのお土産として地元直産の新鮮なホウレンソウを頂きました。

こういうお土産まであると、とても良い気持ちになります。有難うございました。

・古湯映画祭HP

(花野組福岡「作家塾」運営事務局)